ブログパーツ

眼鏡小僧の独り言

パソコン関連や深夜アニメ、イベントで買ってきた同人誌のレビューなどをする情報配信ブログです。 ※閲覧推奨環境 Windows7 64bit Firefox

CLANNAD - AFTER STORY - 最終回の考察(ちょっと冷静になってみた)

前回のブログではCLANNAD終了時にボロクソ書いたような気がしますが、2.3日経ってちょっと冷静になってきたので追記。

まずはCLANNADというゲームがどういった構成をしていたのか?
原作の核となるシステム部分から触れてみたいと思います。

クラナドは他のギャルゲーに類を見ないような複雑なシナリオ構成をしているようです。

なんでも、各キャラクターのルートを全てクリアしないと、そのキャラの別シナリオ(いわゆる2週目)に
行けないそうです。
「少女Aから少女Eのシナリオをクリア」⇒「少女Aから少女Eの別シナリオスタート」

そんな複雑なシステムをアニメという媒体で製作した結果がこの間の最終回だったということです。


§ゲームとアニメとの見解の違い(二次元空間様に寄せられたコメントより抜粋)

  原作をやった方はおわかりだとは思いますが、このゲームはひとつの物語を終えるごとに光の玉を手に入れ、
 タイトル画面に表示され増えていきます。
 その数がある程度貯まるとアフターストーリーが追加され、その最後に朋也と汐は死んでしまいます。
 やはり物語の本筋はこのルートだと私は思います。
  しかし、ここですべてのキャラクターの光の球を集め、再度ストーリーを進めることで、坂道の渚を呼び止めることができるようになるのです。
  この町のすべての人に幸せを運ぶことで、渚を救うことができるようになる、
 こうしてハッピーエンドを『朋也が』ではなく『プレイヤーが』つかみとる感じを出したかったのではないかと思います。

  原作がこういう構成であるがために、私はアニメ化を聞いて少し不安を覚えました。『あれはひとつのゲームとして完成しているものなのに、
 アニメという形で表現しきれるのだろうか』と。最終話はとてもすばらしい出来で、とても感動したのですが、
 『アニメ』として見ている方が違和感を感じられるとしたら少々仕方のないことなのかもしれません。
  そもそもアニメとしての見方はやはり主人公である『朋也』が主体となり、視聴者は主人公に感情移入して見ることとなります。
 しかし、ゲームでは光の球を集めるのは実はプレイヤーの役割で、
 そのプレイヤーにあたる部分がアニメには存在しえないのが賛否両論になる原因だと思います。


  だらだらと長いこと書きましたが、自分としてはこのアニメには100点満点をあげたく、また原作をプレイしたくなりました。
 特に汐がはじめてパパの胸の中で泣くシーンは原作よりも涙腺に訴えるものがありました。
 これを機に原作未プレイの方がゲームを手に取ってくれるとうれしく思います。
続きを読む
スポンサーサイト



テーマ:CLANNAD -AFTER STORY- - ジャンル:アニメ・コミック